空には濃く重い灰色の雲が広がり、月の光を遮られた地上は非常に暗く、あなたは剥き出しの岩肌に足を取られないように懸命に歩いている。
その手には決して大きくはない鳥籠が握られている。
中身は大切な物のはずなのに、あなたはもうその中身に気を使うほどの気力も体力も、そして余裕も有してはいない。
転ばないように下ばかりを見ていたが、それでも視界の端に壁が映った。城壁だ。
かつては栄え、そして今は見る影もなく崩れ落ちてしまっているそれは、冷たい夜風を僅かに防ぐことしかできない。
それでも少し前まではそこにも確かに住んでいるものたちがいて、そして彼らは自らの主らの敗北を知り去っていった。
今は文字通り誰もいない。あなたと、その手の中にいる"彼"を除けば。
ここまでくれば一安心だ。
安心?この先そんなことをしていられる場所があるだろうか。我々は許されることがなく、彼らの憎しみはこの大地の全ての場所に染み付いている。
彼は強い。
そんな呪いなど、ものともぜず前に進む力を持っている。
あなたが惚れた力強さでもある。
だが、あなたはどうだろうかと考える。
きっと…
一体どうやったのだ? らは手を組み、吾輩に対する監視は奴らの呑気さからは考えられないほど厳重だったはずだ。
あなたは腕に抱えた籠の中からの声で思考の闇から浮き上がった。
慌てて顔を上げ、籠の中を覗き見る。
空は暗く、辺りの視認性は非常に悪いが、それでも銀色の籠の中では貴方の友人が腕を組んで、あなたの荒い呼吸で上下する木製の床の上で器用にバランスを取りあなたを見つめていた。
そんなものはあなたの外見を見ればわかるものでは無いのだろうか?
脳みそまでも縮んでしまったのだろうか。
馬鹿にするな!吾輩にも計画はあった。貴様の方が早かったというだけだ。
腕の中の友人が声を荒らげ、その口からは炎…とはいっても、今の彼の体格ではせいぜいロウソクの火を灯せるかどうかといった火力ではあるが、暗い周囲を微かに照らすオレンジ色の光が漏れ出ていた。
あなたは鳥かごの檻をひしゃげさせて古い友人を解放しようとしたが、非常に強固な作りになっており、満身創痍の身では微かな歪みが出来る程度しか檻の形を変えることが出来なかった。
仕方なく鍵穴の中身に意識を向ける。捻じ曲げ、切断し、穴を増やしていく。
大きさの割に非常に重く、そして高い音が辺りに響くと共に檻の蓋になっている部分が開いた。
おかえり
籠の中にいる手のひらの上に収まるほどに小さくなってしまった友人を摘み上げる。
すかさず抗議の声が上がるがあなたは無視する。
そうして彼をつまみ上げている手とは反対の手で、反動をつけて額の辺りを指で弾いた。
普段であれば硬い鱗と肉に覆われている体にはこの程度では触れたかどうか認識することすら難しそうな刺激ではあるが、体が酷く縮んでしまっている彼はひとたまりもなさそうに呻き声を上げた。
途端に目の前にはかつての、そして見慣れた巨大な友人が現れ、そして地面に着いた衝撃であなたが軽く飛び上がるほどの揺れが起きた。
座り込むあなたから数センチもしない所にあなたの友人の顔がある。
その顔にはまだ強い意志があり、あなたは自然と口角が上がっていくのを感じる。
あなたの友人は、そんなあなたを見て不服そうにしながらも、元に戻った体をしげしげと見回している。
どうやらすぐにでもその大きな口を開いて、あなたを焼き尽くすことはしないようだ。
ひとまず復活おめでとう。これでまた、キミはやり直すこともできるし、別のことをしてもいい。
少なくとも、あんな小さな籠に住んでいたら何も出来ないだろう。
あなたの友人はフンと鼻を鳴らした後に続ける。
そうだ。吾輩はまたやり直すのだ。再び部下を集め、力をつける。そうしたら今度こそ世界を、 その全てを吾輩の手に収めるのだ。
あなたの友人は荒々しくそう言い放って立ち上がると尻尾を振るった。
大きな音が辺りに響き、叩きつけられた尻尾によって舞い上がった土埃があなたを覆った。
暫くして視界が晴れると、あなたの前には小さな鳥籠があった。
それは大きくひしゃげ、欠けて原型をほとんど残していない。
あなたの友人の癇癪は相変わらずで、あなたは小さく笑う。
あなたの口から漏れ出る息は白かったが、あなたはもう寒さを感じてはいない。
行くぞ。ひとまずは吾輩の手足として動くものを集めなければいけない。貴様はそこまで融通が効かないのは嫌という程知っているからな。
ひと月ほど暮らしていた忌々しいかつての我が家を見る影もなく破壊したあなたの友人は、尻尾を叩きつけた直後に歩き出していたのだろう、あなたから10メートルほど離れたところで声が上がった。
彼はあなたに顔を向けることなく、そしてその足を止めることもなく続ける。
だが…今回は助かった。貴様にそこまでの忠誠心があったとはな、正直感動したぞ。一段落したら褒美を取らせてやる。
あなたに向けて何かを言っているようだった。
その唸るような声が、既に殆ど聞こえなくなっているのを、そしてもう聞くことが出来ないことをあなたは残念に思う。
霞む視界の端では、あなたからの返事がなく、そして着いてくる足音が聞こえないのを疑問に思ったあなたの友人が不思議そうに振り返るのが見える。
あなたは自分の口から最後の息を吐き出し、残された貴重な数秒をあなたの友人の顔を見ることに使うことに決める。
それは既に灰色で、視界は僅かな中央を残してブラックアウトして周りなどまともに見えない。
それでも最後まで視界に捕えたあなたの友人の顔は、普段の力強いそれとは違い、驚きと悲しみが同時に表れた表情をしていて混乱しているように見える。
そして
あなたの全てが闇に沈む。